History of Saikouji
このお寺は鴨川道場東福山西光寺といい、阿弥陀如来をご本尊とする時宗の古刹です。 今から約730年前、文永2年(1265)4月8日に、真言宗の傾木和尚が、この地にお堂を建立されました。
その後、12年の年月を経てようやく寺院の形が整い、ご本尊の開眼を迎えるだけになりました。傾木和尚は、ご本尊の開眼を当時一切衆生の済度を志し、全国を遊行されている一遍上人にお願いしたいとお考えになりました。
傾木和尚の心が仏さまに通じたのでしょうか、建治・弘安年間(1280前後)一遍上人が化益のため見付にお入りになりました。傾木和尚は一遍上人をお堂にお迎えして開眼法要を勤修し、宗旨を真言宗から時宗に改めました。以来、傾木和尚を開創に、一遍上人を開山として時宗の念仏道場として現在に至っております。
元和6年(1620)二代将軍徳川秀忠公の娘和子さまが後水尾天皇(108代)の皇后となり東福門院と称せられました。和子さまは、お嫁入りのため江戸から京へ上られる途中、西光寺にお立ちよりされ、七堂伽藍の建立と、ご自分の守り本尊として大切にされていた阿弥陀三尊仏と地蔵尊をご寄付されました。この時より西光寺の山号は、皇后のお名前を頂き東福山となりました。
元和7年(1621)の類焼により西光寺は全焼しました。しかし、ここで不思議な出来事がありました。建造物等すべて焼失したのですが、皇后より頂いた阿弥陀三尊仏と地蔵尊は、焼失することなく残っていたのです。
道場を失い深い悲しみの中、焼け跡より仏さまを発見したご住職の思いを想像すると胸がいっぱいになります。
元和9年(1623)本堂が再建され、仏さまは本堂内に安置されました。特にお地蔵さまは、日限のお地蔵さんと呼ばれ霊験あらたかな尊像として毎日お参りが絶えません。
見付西坂の地に光堂山蓮光寺がありました。このお寺は約800年前、安元2年(1176)遠江国守平重盛公(清盛の長子)により建立された名刹でしたが、明治44年(1911)西光寺と合併し、薬師如来坐像等が移されました。
この薬師如来は遠江四十九薬師霊場第48番札所として病気平癒を願う人々の篤い信仰を受けております。
創建から750余年の歴史があり、文化遺産も多数ございます。
その一部をご紹介いたします。
大クスとナギの木
クスは樹高18m、根回り13.7m、胴回り7.5m、推定樹齢500年。北側のナギの大樹と共に磐田市指定文化財(天然記念物)
表門
徳川家康公が中泉村に築かせた中泉御殿の表門。市内に残る代表的な江戸時代の門。磐田市指定文化財
薬師如来坐像
藤原時代(平安時代)作。応永16年(1409)補修の銘文。磐田市指定文化財