和尚のひとりごと ”泣いてしまった”
11月も後半に入って、
ようやく裏庭の紅葉も見頃を迎えました。
あと数日すれば,
今年も一番の美しさを見せてくれることでしょう。
お時間がございましたなら
是非ご参拝をかねてお越しになり、
彩り華やかな木々をご覧下さい。
さて、
一昨日の11月18日の日の出前の早朝より昨日の夜にわたって、
西光寺の総代のみなさまといっしょに
研修旅行に出かけておりました。
昨年のこの時期は、
神奈川県藤沢市にあります
総本山遊行寺(ゆぎょうじ)に参拝し、
鎌倉の寺院を一泊の日程で散策してまいりました。
それにひきつづき、
一年ぶりの研修旅行です。
今回の研修地は、
時宗(じしゅう)開祖の一遍上人(いっぺんしょうにん)が
お悟りを得られた
和歌山県の熊野本宮(くまのほんぐう)と、
一遍上人が最後の布教の地として過ごされ、
生涯を終えられた
兵庫県神戸市にあります御廟を訪れました。
私の運転する車で大移動、
約1000キロの旅路です。
途中では地元の名勝を訪ねながら見識を深め、
とても有意義な時間を過ごすことができました。
今回、
一番の研修地としてみなさまをお連れしたかった所は、
熊野本宮に近い深き山のなか、
一遍上人のご真筆であり、
その文字を自ら石に刻まれたとされる石塔です。
国道より山手に道をそれて、
林道に近い狭い道を奥え奥へと進むこと数十分、
深い木々に囲まれながら石塔が、
800年近くの時を経て佇んでおりました。
私にとっては十数年ぶりの場所、
もうここまで足をはこぶのは4回目です。
一遍上人が書かれたものと伝わる掛け軸は、
全国にいくつか残っておりますが、
ご本人が書かれたという記録があり確証できるものは、
この石に刻まれた文字だけです。
南無阿弥陀仏とただ唱えて、
あとは仏さまにおまかせする、
その一遍上人の思いは、
熊野古道の脇に立つ
この石塔の前を行き来された数多くの人々に
伝わったことでしょう。
二日目は、
時宗の寺院、
神戸市内の真光寺(しんこうじ)の境内にあります
一遍上人の御廟参拝です。
まさに、
鎌倉時代を生きた一遍上人が51歳の生涯を終えられた場所であり、
最後の布教をされた所です。
荼毘にふされたあと建立されたお墓が現在も残っており、
一遍上人と出会える聖地です。
研修初日に訪れました
和歌山県の熊野本宮にてお悟りを開かれたあと、
20年にわたる布教の旅、
その力尽きた終焉の地が神戸、
とても感慨深い空気につつまれた時間でした。
そのような一遍上人との出会いを終え、
神戸をあとにした私たちが向かったのは、
私の故郷滋賀県。
栗東市にありますお寺、
私が育った東方寺(とうぼうじ)です。
そこでは、
いまも暮らしております父と母がみなさまを出迎えてくれました。
お参りされておりますみなさまの前、
父と一緒に本堂の仏さまのお経を勤めておりますとき、
年老いた父の姿とか細いお経の声、
自然に涙があふれてきました。
いろいろなご縁が結ばれ、
いまの私があります。
本来なら長男の私はここにいるべきもの、
それがここを離れ静岡の地へ。
年老いた両親を残し出たこと、
また、
父もなにかと西光寺に足をはこび助けてくれたこと、
いろいろなことが思い出され泣いてしまいました。
お経を終えたあと、
総代のみなさまの前で話す言葉も涙声、
ふりしぼったその声で、
いまは僧侶を引退し静かに余生を過ごす、
師匠であり父への私の思いを伝えさせていただきました。
研修の最後は、
私の涙となりましたが、
無事に磐田にもどり、
とても有意義な二日間となりました。
そして一遍上人との出会いは、
またひとつ大切なものを教えていただいた、
そんな思いで終えることができました。
研修旅行に参加されました総代のみなさまも、
私と同じ思いをそれぞれに得て
感慨深い旅になったと信じております。
人前で涙を流す…
昔の本堂を解体するにあたって、
お檀家のみなさまと勤めたお経のあと、
ご挨拶したときに流した涙…以来でした。
いつもこらえて強がっておりますが、
自然にあふれる涙には勝てませんでした…和尚のひとりごとでした。
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