和尚のひとりごと ”えらばれた存在だから尊いのです”
朝日が昇り、
今日はとてもいいお天気となりました。
雲が広がる一日ではありましたが、
雨が落ちることもなく、
傘の心配はしなくてもいい日中でした。
そういえば今日は夏至、
一年で一番昼間の時間が長い日でした。
夕方遅い時間もまだ、
西の空に太陽が見えておりましたが、
いつものように本堂の戸締まりの時間です。
そんな自然が織りなす明かりの日中、
静かにお参りに訪れて下さるみなさまが数組、
ゆっくりしていただけたでしょうか。
のんびりし過ぎる必要はありませんが、
お願い事はゆっくりと手をあわせ、
仏さまと一体となって自分自身とも向き合う、
それが私のお寺のお参り方法です。
一方的なお参りではなく、
まずは自分自身を振り返り懺悔し、
心、清浄になってはじめて仏さまの前に座することができるのです。
それだけに
神社仏閣は静寂につつまれている方がいいと思うのですが、
大騒ぎをしない気配りがお互いに生まれたなら、
同じ仏さまのもと尊い存在として、
目の前の仏さまとの結びつきができるのではないでしょうか。
さて、
この世に生まれた人は、
そのように尊い存在であると以前より思っておりましたが、
今日、
人とは
生まれ来る前から
えらばれた存在でもあるということを知りました。
人の命がはじまる
お母さんのおなかのなかにいるときから
えらばれたきた存在なんだと。
生まれ来る始まりの卵、
卵子というものは、
胎児としておなかにいるとき、
その胎児が20週を迎える頃には、
その胎児のなかに600万個から700万個の卵子を
持っているそうです。
そしてこの世に生まれた瞬間では、
100万個の卵子をすでに持っているそうです。
たくさんのその中から必要なもの以外は自然淘汰され、
えらばれた卵子だけが
最終的に残されていくそうです。
人間の細胞は、
60兆個から最近37兆個からできているという説が
でてきているそうです。
そのとてつもない数の始まりがえらばれたひとつから。
そして、
お母さんというのは、
妊娠されたときから、
我が子に合わせてその先につながるお孫さんの卵も、
おなかのなかで育んでいるのだと。
神秘的ですね人のからだとは。
そんな道を通ってあなたのいまがあります。
優秀な卵としてえらばれ、
そして残り、
しかも
細胞分裂をはじめる命の始まりの一個としてもえらばれ、
こうして人としての人生を歩まれているのです。
医学的な観点からも、
人はやっぱり尊い存在、
そんな奇跡的な歩みを思いながら
自分自身と向かい合ってみますと、
胸をはって堂々と生きてもいいんだと
思えるのではないでしょうか、
また、
そんなきっかけを
得ることができるかもしれませんね、
明日も朝日が美しいだろうか…和尚のひとりごとでした。
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