西光寺
時宗 東福山 西光寺
時宗 東福山 西光寺

Saikouji Blog

和尚のひとりごと “息子として生きている間”

秋の風情がまた似合うこの街。

ひとびとの装いも長袖が増えて、

秋深し

風になびくその姿がよろしい

アスファルトのつづく道、

その先に見えてくる景色に、

だれもがウキウキとなりたい青空の下です。

image0 (92)

さて、

親をもつ子であるなら、

一生に二度、

永遠のお別れの経験を迎えます。

遅かれ早かれ人は、

いつの日か旅立ち、

悲しみに思い出を追っかける

私に涙を流すものです。

故郷に住んで、

晩年の暮らしをしていた

師匠であります父親を五年前に亡くし、

当時、

母親も認知症のなか、

なんとか

父親の支えのもと暮らしておりました。

そのあと、

母親は、

施設にはいることになり、

数回の面会のあと、

新型コロナウイルスによる感染拡大の影響にて、

数年間面会もできなくなり、

今年の九月、

体調不良となりすぐに入院。

病室で寝てはおりましたが、

その見舞いに訪れたのが最後、

数日後、

仏さまのもとへと旅立っていきました。

九十六歳の大往生。

よく頑張って生きたと思います。

これで両親を見送り、

長男として、

子どもとして、

二人を見送ることができて

よかったと思います。

私のような仕事にたずさわっておりますと、

親よりも子が先に旅立つことも

接する機会があります。

辛い経験ではありますが、

命の保証など、

毎日、毎日、だれもないということです。

それだけに、

いかに苦しくとも生きる選択を優先して、

また日が昇る瞬間に、

今日も生きている喜びを感じながら

暮らしていく…

その繰りかえしなのです。

そして、

ひとつたしかなことは、

両親の面影にだんだんと似てくること。

両親から受け継いだものをカラダに残して、

命のバトンをつなぎ、

またわが子へと引き継がれていくものなのです。

でも、

少子化と独身が多い現代では、

それもまた昔のこととなり、

引き継いでくれるわが子もいない…

人生の最後に

見送ってくれるわが子もいない…

淡い命と同じ、

最後の最後まで儚さに消えていく淋しさに、

一生という歴史を終えて、

すぐに

忘れられていくのでしょうね。

だからこそ、

あなたたちの息子として生きている間、

時々は、

思い出すことにいたしましょう、

私にも父と母がいたことをね…和尚のひとりごとでした。

コメント

  • みよこ
    2023年10月14日 7:21 AM

    御両親 きっと天国で
    感謝 しているし 
    見守って おられますね

  • saikouji
    2023年10月15日 6:22 PM

    おおきにです、
    みよこさん。

    和尚