西光寺
時宗 東福山 西光寺
時宗 東福山 西光寺

Saikouji Blog

和尚のひとりごと “どうする和尚”

どうする和尚…。

今夜、

いよいよ

西光寺ともご縁が深い

若き主人公の生涯を語るNHK大河ドラマ、

“どうする家康”がはじまります。

表門

ここ西光寺の表門として

使われております

立派な薬医門(やくいもん)は、

家康公、

浜松に在城のおり

たびたび足をはこばれた、

遠江、

中泉の地に

家康公の命を受けて

数年がかりの時間をかけて建立、

城郭のように

お堀を兼ねそなえた

敷地一万坪におよんだとされます御殿…

中泉御殿(なかいずみごてん)の表門とされております。

大阪城の豊臣家を攻めた

大坂冬の陣、夏の陣の軍法会議でも使用され、

また、

天下分け目の関ヶ原の戦い

直前の戦略会議も開かれるほど、

中央の軍事拠点として重要視された御殿でありました。

その後、

家康公は関東へと移られましたが、

御殿だけは残されて、

若き家康公の勇姿を語り継ぎながら、

その存在の威厳を放っていたことでしょう。

その後、

御殿の主殿等建物は、

周辺の寺院へと移築されましたが、

いま、

明確にその歴史を伝えているものは、

市内に現存いたします

門をふたつ残すのみとなりました。

建物等は、

改築され、

その姿を偲ぶものは、

残念ながらございません。

歴史のロマンのなか、

当時を語るひともなく

遠い記憶へとなってしまいました。

それだけに、

西光寺へと移築されました表門の存在は、

大変意味深いものがあります。

家康公が、

『どうしよう』

…と思案されて通られた門に、

現代の私たちは、

なにを感じて、

生きていく選択をくり返していくのでしょうね。

あと、

本堂にお祀りされております

日限地蔵尊も、

家康公亡き後、

晩年の思い通りに進められていた婚姻、

後水尾天皇へと入内されました、

孫娘の和子(まさこ)より賜った尊像のご縁もあり、

それらすべての結びつきは、

西光寺と家康公との関わりをいまに伝えているのです。

どうする松本潤君…

門をくぐりに来ないかな。

さて、話は変わりますが、

夕べ、

磐田大祭り

遠州大名行列・舞車実行委員会の新年会が開催され、

出席してまいりました。

昨年暮れの実行委員会では、

今回、

令和五年四月二十九日に開催されます

第二十一回目の大名行列シナリオについては、

上層部で企画作成と

お話しがありましたので、

毎年毎年、

シナリオを書いてまいりました

私に用はないということと思い、

参加されます

中学生たちの行列の指導だけでいいと思っておりましたら、

やっぱり、

上層部作成の物語部分を除いて、

その前後の大筋のシナリオ、

脚本は、

私にと話をふられてしまいました。

私としましては、

例年、

前年から歴史背景を温めながら二月には、

ほぼ登場人物、

台詞、

物語のあらすじが完成できるよう

お役を受けてまいりました。

今回は、

はじめのような経緯で

まったく

四月本番のシナリオに手をつけることなく

気楽にしておりました。

執行部によりますと現時点で、

大名行列に登場されます

知名度高い

スペシャルゲストさんへ

物語の内容を早く送りたいと思っても、

できない現状。

そこでいきなり

いまから私に全体像の物語をと振られても…。

夕べの新年会に出席されておりました

草地博昭磐田市長も挨拶のなかで、

『今回の大名行列、

私の役柄は、なにになるのか、

きっと下村さんが考えておられることでしょう、

それを演じます』

…と。

過去、

たくさんの登場人物を考え、

歴代の市長さんにも

出演していただいてきた時代劇のシナリオ。

長く作ってまいりましたので、

市長さんにも認められた

ありがたいお言葉では…、ありました。

さてさて、どうしよう、どうする和尚…和尚のひとりごとでした。

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