和尚のひとりごと “いま…知的創造力を高めあえる…東の京の都へと行動をおこします”
週末の土曜日、
朝焼けを望んでいた青い空と
オレンジ色を隠すように雲が流れて、
気がつけば、
午前中から雨模様となりました。
やさしそうな雨は、
参道を濡らして鏡の如く、
緑色の木々を写しこんで、
御影石が生む写真機のように
この瞬間をおさめているのでしょうか。
もうすぐ
やみそうな小さな音、
雨粒が踊り喜ぶ様子も、
あと少しで消えていくでしょう。
さて、
磐田市を訪れて
そろそろ三十八年、
当時、
知らない街の景色は、
すっかり
いつもの景色となり、
流れゆく川の水に思い出を映しながら
いろいろなことが思いだされてまいります。
そのなかでも、
昔から変わらないこと、
それは、
その場所だけでとどまるという
狭い世界では…
生きていかないということ。
ジッとしているだけなら簡単で、
年に数回
顔を合わす同業の仲間たちとなら
話題も共通点があり、
あとは、
接点をもたない世界。
自らでていかないと
仕事以外のひとから学ぶこともなくて、
いつも顔を合わす
お檀家さまたちとのお付き合い。
はたして、
それでいいんだろうか。
それでは、
まったく経験値があがらない。
もちろん、
専門職としての経験は積んでいけるだろう。
でも、
それでいいのか、
ひとりの和尚として終わることが正しい選択なのか。
いつも
自問自答しながらここまで来ました。
そんな私ですから、
お寺だけで
おとなしくしているわけがありません。
二十代の頃は、
市内にありました
勤労青少年ホームの利用者となり、
利用者会で組織する
サンプラザ友の会の会長におされて
たくさん
同世代の方々とつながりをもちました。
三十代にはいりますと、
磐田青年会議所の会員としてまちづくりを。
この街が良くなるならと、
磐田市長に
面会を申しこんでお願いをしたり、
子どもたちを育む事業のアドバイスをいただくために、
東京まででかけて
宇宙開発事業団や
漫画家・松本零士先生のご自宅まで伺ったことも。
国務大臣…
科学技術庁長官とお話しをするため、
大臣室まで出向いたこともあり、
動かなければ出会えなかった
著名の方との時間は、
とても有意義で、
自らを育むきっかけとなりました。
四十代では、
小学校、中学校、高等学校、各PTA役員を兼任して、
おかげさまで
その信頼から会長は八年間、
トータル二十年間にわたるPTA活動を通して、
子どもたちから学び、
保護者のみなさまから学び、
外の世界観をひろげてまいりました。
保護司となったのもこの頃、
保護観察担当を通して、
いろいろな環境が生みだしてしまう
ひとの分かれ道を、
いまも教えられて、
更生への一助を担っております。
五十代にはいりますと、
“そろそろいいかな”
と断り続けてまいりました、
富裕層のステイタス、
地元企業人で組織する…
大きな…世界奉仕団体のロータリークラブ会員となって、
年代を超えたつながりのなか、
各業種各企業のトップリーダーたちと、
奉仕事業を通じて
たくさんのことを学ばせていただいております。
そこには、
年齢の壁は無くて、
同じ道を行く者同士の友情が存在する
居場所となっております。
さて…
そして六十代にはいった今、
和尚は何処に向かうのか…。
つぎは、
ひとりの人間として自身のレベルを高め、
いよいよ
さらにステージをあげるため、
私をつくりあげてきた磐田市、
静岡県の経験値から大きく視野を東へと向けて、
動きだしたいと思います。
もっともっと
レベルの高いひとたちとつながりをもって、
たくさん学び、
品格ある大人の男、
高尚なる和尚に近づくために。
生涯をとおして
手のとどかない夢に憧れることは、
もちろん大切ですが、
手がとどきそうな
年代ごとに求めるステージがあっても…いいと思います。
プラベートな空間を共有する
各界のグローバルリーダーとの知的刺激に満ちた環境。
そこに、
集大成とも呼べる私が求めたもの…
静岡県磐田市にあります
ひとつのお寺の和尚のレベルだけで終わることのない、
社会的信用のある富裕のステイタスと、
それ以上のものが得られます
わたしへのハイクオリティな付加価値が待っていると信じて、
対話と交流を愉しみ、
その時間を大切にしながら知的創造力を高めあえる…
いま東の京の都へと行動をおこします…和尚のひとりごとでした。
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