和尚のひとりごと “お地蔵さまよ…なにを思う”
四月も中旬にはいり、
穏やかで
気持ちのいい時間が過ぎていきます。
少し花冷えの朝晩ではありますが、
日中は、
お日さまが顔をだして、
風も遊ぶ境内です。
ご朱印で訪れてくださる方も多く、
今日は、
わたしがお経にでかけておりましたので、
その間、
息子が書いてくれておりました。
何事も経験。
筆文字の上手い下手より、
文字を見られる仕事の自覚を持ってくれたなら、
いつか、
さっと筆と友だちとなり
書ける日も訪れるでしょう。
わたしも習字を習うより慣れろ…
でここまで来ましたから、
まだまだ
文字も見せられるものではないのですが、
緊張より
度胸で筆に浸した墨をすべらせております。
二十代最初、
住職になって
はじめて書く責任を背負ったときの緊張感は、
いまの息子とおなじでした。
とくにご葬儀の一式。
白木のお位牌には、
緊張感と失敗ができないプレッシャー。
いまとなっては、
それもまた思い出ではありますが、
白木のお位牌に
定規で鉛筆の線を引いて、
文字数に合わせて
マス目を書いてから筆で戒名を…でした。
そんな
繰りかえしをつづけていたわたしもいまでは、
書くのを失敗したらしたで
葬儀屋さんに
新しい白木のお位牌を届けてもらえばいいやとまで、
堂々と書いているのです。
息子の時代になるまで、
まだ時間はありますから、
ひとつひとつ経験値をあげて、
度胸ある
僧侶になってもらいたいものです。
最近は、
パソコンで文字を打ちこんで、
白木のお位牌、
お塔婆用のプリンターもあったりして、
めっちゃ美しい書体で印刷されて
白木のお位牌も仕上がるようですが、
『そんな道具を買いませんか?』
と寺院宛に
宣伝の郵便物が郵送されてくるときもあります。
筆をもつ緊張感も過去のものと…
なるのでしょうかね。
さて、
僧侶として跡を継ぐ年齢も、
お寺によってさまざま。
若いひともいれば、
ある程度、
年齢を重ねて跡を継ぐひとも。
みんな、
そのお寺さまにお祀りされております
仏さまに導かれて、
不思議なご縁でつながれていくのです。
でも、
最近は、
跡継ぎのおられないお寺さまも増えつつあります。
お寺だけを背負っていくことより
会社員として生きたい。
いまの世のなか、
寺院、
僧侶の世界も選択肢が増えて、
将来的に
どのような
“こころの時代”
が訪れるのでしょうか。
「昔々、遙か地球のうえで…」
こころのよりどころの聖域も朽ち果てて、
残された遺物だけが、
お寺の歴史を語るのかもしれませんね、
もしかしたらAIが…教祖となって。
お地蔵さまよ、なにを思う…和尚のひとりごとでした。
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