和尚のひとりごと “薬師如来さまに届きますよう…うちのほとけさまに配達をお願いしました”
卯月の朝、
日曜日は安らぎにつつまれて、
このあと
境内で跳ねて遊ぶ雨粒に
美しく濡れるのでしょう。
西から近づく潤いは、
奇麗に咲いた
桜の花々を透明のベールに飾って、
終わった花びらから
やさしい風たちが空へとはこびながら、
遠く眺めていた
憧れの景色へと導くのでしょう。
そんな時間が過ぎていくと、
葉桜の姿がまた美しい、
ひとときを贈りとどけてくれます。
咲いても桜、
散っても桜、
佇む姿も桜。
ひとときだけ気にかけられて、
そのひとときが去ってしまうと知らん顔。
春の景色は、
そんな淋しさも描きながら
新緑へと進んでいくのでしょう。
淋しいと言えば、
わたしが幼少期から少年期、
そして、
青年期を過ごした故郷滋賀県。
父が留守居を兼ねて住んでいた小さなお寺。
住職は本家の叔父でしたが、
お寺の隣に新居ができるまで
わたしの住まいでした。
本堂のなかには、
のちに滋賀県指定の文化財に指定される
古い古い
薬師如来さまがお座りになり、
その真横の三畳間がわたしの勉強部屋でした。
三畳間の襖に落書きしたりと、
子ども時代は、
悪さばかりしておりましたが、
忘れることの無い、
いい思い出がつまった部屋でありました。
そんなわたしを、
傍らで温かく見守ってくださっていた
薬師如来さまも、
近年、
本家のお寺に移す計画が進んで、
先月、
本家のお寺へと移動が終わりました。
カラッポになった本堂には、
ほとけさまの姿も無くなり、
建物のなかには、
ただ空間がひろがっているようです。
こうして、
故郷を離れていても淋しさを感じるいま、
思いだす少年時代のわたしは、
ほとけさまの懐に抱かれて
大きく育てられたのかもしれません。
亡くなった父と
わたしでお経を勤めた最後の時間も、
いまは…
お留守になったほとけさまの前。
いろいろあっていろいろがいい。
たくさんの色に染まった
幼児と少年だったわたし。
六十歳を迎えた人生を…
いまは、
すっかり成長しすぎてここで歩んでおります。
そんな近況をこころの手紙にしたためて、
薬師如来さまに届きますよう、
うちのほとけさまに配達をお願いした…
雨音心地よい、
わたしなのです…和尚のひとりごとでした。
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