西光寺
時宗 東福山 西光寺
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Saikouji Blog

和尚のひとりごと “羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経”

夕べからの雨が残り、

お昼近くになりましても

小雨がつづいております。

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きっと、

春の景色を誘う潤いなんだと、

大地に根づく緑豊かな木々も、

めいっぱい

美しい花を咲かせて

わたしを飾ろうとしている花々にとっても、

歓迎している曇り空の街並みです。

さて、

いつもの時間に起床して感じることは、

明け方が早まってきたということ。

響きわたる鐘の音色も、

ついこの間までは、

暗闇のなかを旅する感覚だったのに、

いまでは、

遙か遠くに見える景色に向かって

駆けていくような音色に聞こえてまいります。

この音色の下、

人々は営み、

今日も生きていく…その秒針を刻んでいく。

刻々と、

変わっていく出来事が楽しくもあり、

苦しくもあり。

生きることの

最大の苦しみの『死』にむかって

歩んでいく風景は、

知らず知らず

背中に重荷を背負わせ、

足どりも重くなり、

立ち止まることを

余儀なくされることもあります。

立ち止まった所で軽くなれたなら

どんなに嬉しいだろうかと、

そんなわたしを思い描いても

冷たい向かい風が立ちふさがる。

気持ちに余裕があるのなら、

追い風になるまで

待ってみようかという気分にもなりますが、

時間に追われて

気が競るのがひとの世界。

ここで

仏さまの教えを浮かべるなら、

このひとの世界の下には、

修羅道→畜生道→餓鬼道→地獄道がひかえていて、

輪廻転生を繰りかえしながら彷徨うもの。

「上を見ても下を見てもきりがない」

といいますが、

わたしたちが過ごす

このひとの世界から

ずっとずっと下を覗いてみるなら、

最も苦しみも悩みも少ない天上界に

一番近い、

このひとの世界をよしと思う心も大切なことです。

般若心経の最後の偈文、

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経

(ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか はんにゃしんぎょう)

に説く、

ひろくひろくもっとひろく、

せまい世界のなかで

苦しみ生きていると思っていたわたしから、

東西南北上下の世界にかこまれた

そのひとつの世界…

“ひとの世界”を生きているに過ぎない

わたしだったと気がつくことが、

こころの救いを導く

第一段階だと思うわたしです。

さぁ、

まずは、

今日の何処かで、

だれかにやさしい言葉を贈りましょう。

天上に一番近いと気がついた

わたしのうれしさを声の手紙にして…和尚のひとりごとでした。

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