和尚のひとりごと “僧侶らしく正々堂々と私に寄りそって諭せ!”
今日は私にとって節目の日です。
静岡県仏教会臨時常任理事会。
実は、
前回の静岡県仏教会理事会において私は、
静岡県内各地域仏教会の会長であり、
静岡県仏教会理事でもありますみなさまの全総意で
次期静岡県仏教会会長に承認をいただいておりました。
しかし、
地元の磐田市仏教会の一部会員の圧力と威圧で、
私はその立場を辞する表明をおこないました。
でも、
けっして
その目に見えない圧力に屈した訳ではなく、
これから磐田市仏教会を支えてくださる若い僧侶たちのために、
分裂させるわけにはいかないと、
ここは辞する決心をした結果です。
私は人のためになる奉仕は、
自分の肩書きとか名誉のために汗を流してきたことはありません。
知らないところで喜んでくださる方々がおられるのなら
それが私自身の喜びにもなると、
地元のボランティア活動、
また公の奉仕を続けてまいりました。
今回も…何年も前からお伝えをして、
その都度、
礼を尽くして
磐田市仏教会会員へ投げかけてまいりましたが、
そのときはなにも言わず、
でも、
実際にその話がまとまりそうになったとたんに
反旗を翻すように圧力と働き。
堂々と私の前で説得や説き伏せることもせず、
怒鳴り声とただ見えないところで追い込みながら動くという、
正々堂々としたやり方でないところに、
もう聖職者として衣を着ている僧侶とはなんなのか?
と私が僧侶として師匠から教えられた
あるべきその教えから遠くかけ離れた姿にとても悲しくなりました。
これが人の苦しみを説く僧侶なのかと。
私ひとりを虐めるかのように、
なんてやりかたなのでしょうか。
『それはいじめでしょう』
…相談しました信頼ある他業種の方もそのようにお話しになりました。
もちろん、
僧侶の世界には、
昔ながらの年功序列、
位の高さ、
お寺の規模や格式そして大きさ、
そんなことにこだわる人たちが…
いまもとってもおられるのだということを知って、
いい経験となりました。
本日の会議でも、
静岡県仏教会本部役員のみなさまにすべてをお伝えして、
今回、
私がお断りした事情を理解していただきますよう
しっかりとお話しいたしました。
普段の仕事柄のつながりやしがらみも無い
他宗派の僧侶として敬う所はまったくない対応。
理不尽。
大変だったねと、
人と人とのつながりに見識があります
今日お集まりの和尚さまたちには、
勇気づけられます言葉をたくさんいただきました。
ほんと、
ありがたいことです。
今回のことでたくさんの和尚さまたちが動いてくださり、
新しい会長予定者が本日承認されました。
これで私の心も安心の境地、
心の痛みが薄れていきました。
今回は、
聖職者として疑問を描く相手の対応で
私もいい経験をすることができました。
それはなにか…
やっぱりいつもの私、
人の痛みがわかる私であるのが正しい僧侶、
いいえ、
正しい人であると確認できたことです。
【あなたたちは…
西光寺は磐田市を代表するお寺でも和尚でもないというのなら…
それを正々堂々と…僧侶らしくもっと私に寄りそって私を諭せ!】
心にあったものを
ひとりごとにしたためて晴れやかな私。
会議を終えた昼間っから飲んでいることをお許しください、
だって心が話してきます…
『飲みなさい和尚…美味しいよ』とね。
ラグビーワールドカップで
静岡を訪れておられますご年配の外国のご夫婦、
外からお店のなかを覗きこみながら席が空くのをお待ちです。
ここはゆずらないとと思いお店を出ました…
私のできるおもてなしです…和尚のひとりごとでした。
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