和尚のひとりごと “神を崇め奉る秋のお祭りは神事からイベントへと”
穏やかで涼しげな風が訪れたと思えば、
またお日さまの意地が輝く暑さが、
街に帰ってきたりと、
体調の管理もなかなか大変な今日この頃です。
ここ見付の秋のお祭り、
見付天神社の大祭も雨のなかではありましたが、
九月十五日の土曜日深夜、
裸の男たちの練りも荘厳にくり広げられました。
私は、
用事のためお祭り自体のなかには参加をせず、
街におりませんでしたが、
聞くところによりますと人の出は少なくて、
寂しい様子であったそうです。
お祭りを見に来る人は、
やっぱりお天気に左右されるということでしょうか。
そして、
一番気になるところは、
お祭り自体、
その神事に参加される各町内の人数が少なくなってきたということです。
見付天神社の氏子の男ならみな参加してきたであろう、
そのはじまりの歴史も…
数百年を経ていくと変化が訪れるということでしょうか。
きっと、
ある意味、
この平成から新しい元号へと変わっていく時代、
これからの継続を考えて、
神事も見直しといいますか、
原点に還って神事のあり方、
氏子としての意識改革、
けっこうな課題が保存への近道ということになるでしょうか。
このひとりごとを覗いていただいておりますみなさまも、
そのお住まいの街にあります
鎮守さまの氏子としての意識が高いでしょうか?
その街に住めばあなたも氏子。
もちろん、
その街をその土地を
古の時代より守ってこられた神々に対して
畏敬の念を持つことは大切なことだと思います。
でも、
その神さまに私の人生のすべてをおまかせして、
最後は神となってこの世を離れるという
本来の神道の境地にはいって
日々の生活をされているでしょうか。
それとも、
先祖代々の宗教を信仰して、
人生最後の時は、
その教えに従いおまかせするという
生き方を選択されているでしょうか。
いまや、
日本は神の国から他宗教の国へと変わってきました。
しかも、
その他宗教からたったひとつではなく、
いくつもの宗教をとりいれ、そのたび行事に参加される。
それが、いまの日本人です。
誕生を迎えると神社へお宮参り、
大人になってくるとキリストさまの誕生日に気分は踊り、
最後、
息を引きとったあとは、
先祖代々、
または、
自分自身が望んだ宗教的儀式で旅だっていく。
もちろん、
無宗教ならなにも無しで。
これらに限らず、
いまやグローバルな時代で自由な国となった日本には、
もっともっと
多種多様にわたる宗教が伝来してくることでしょう。
いま以上、個々にとりまく宗教観は、
昔とは大違い、
とくに
神の国として受けつがれてきた伝統あるお祭りの神事は、
意外に生粋の氏子たちより
その他の宗教に帰依している方々のほうが多いかもしれません。
本来の氏子、
すべてに帰依する地元の神々、
単一宗教らしい生き方を選び帰依するそのあたりが、
神事への参加人数に響いているのではと、
そして、
益々これらがお祭り維持の問題点であり、
解決方法の答えを導くスタートラインではないでしょうか。
一年に一度、
ごちそうを食べて五穀豊穣を神々に感謝する、
一年に一度の楽しみ。
いまは、
一歩…外にでると棚にはごちそうが並んでいます、
楽しい楽しいアミューズメント施設が一年中楽しませてくれます。
伝統を守ろうと努力される生粋の神道のみなさまと、
他宗教で参加のみなさまの交差点…それが現代のお祭りであり、
「神を崇め奉る秋のお祭りは神事からイベントへ」…と変わりつつある。
近年の神事を眺めていて…そう個人的に思う私です。
仏教、神道、キリスト…etc.
選択は自由であります。
さて、
今日は全国区の彼が来てくれました。
西光寺を訪れてくれるのは、
もう何回目になるでしょうか。
きっと、
彼も私のことを覚えてくれていると思います。
新しいカレンダーに使用する写真撮影のため、
カメラマンといっしょに訪れてくれました。
なかなか愛嬌もあり、
元気いっぱいの彼であります…『なあ、さすが“しっぺい”』
撮影のモデルもすっかり板についてきた彼です…和尚のひとりごとでした。
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