和尚のひとりごと “ひとつの命が尽きて十の教えを知る”
おひさしぶりのひとりごとでしょうか。
書くことが浮かばないときもありますし、
パソコンのキーボードに向く気持ちがおこらないときもあります。
常日頃より、
布教などでご活躍の和尚さまからすれば、
書くことなどたくさんあって、
話のネタは尽きないかもしれません。
でも、
私は足下にもおよばない下の下の僧侶。
ひらめきがあるときないとき、
その日々で過ごしております。
でも、
時々ほかのお寺さまのホームページを拝見させていただくのですが、
伝えたいことを
和尚さまなりの表現で書かれているところが増えてまいりました。
これは、
とてもいいことで、
悩める人の指針、
一文字一文字が癒やしの導きとなり、
救われることもあるでしょう。
もちろん、
更新期間がひらいておられるお寺さまもありますが、
そのお寺さまだからこそ
伝えられる独自性や
オリジナリティーにあふれたものにしていただければ、
お釈迦さまの教えも
自然に浸透していくと信じたい私です。
さて、
ここのところ、
故郷に住む父親の様態が悪くなってまいりました。
その様子と思いは、
私のFacebookにあげているのですが、
日に日に弱っております。
主治医の先生との相談で、
家族の総意として延命の治療はおこなわない、
最後まで命を説く僧侶として全うさせてやりたいと。
いまの社会、
与えられた命を医学の力で延ばすことはできますが、
本来、
この世に生まれるときに授けられた命の年数、
それを
いかに使って生きることを選択するか。
その定めのまま、
きっと父親は生きてきただろうと、
弟子であり長男である私は、
そう父親の思いを確信して治療の内容も決めてまいりました。
いつだろうか、
私も同じ立場になって阿弥陀さまのご来迎に喜びを感じ、
この命をまかせる瞬間を迎えるのは。
命あるもの、
だれもが通らなければならない彼の岸への旅。
【ひとつの命が尽きて十の教えを知る】
きっと、
人というものは、
最後の最後まで、
周りの人たちに
お役に立つ存在として人生を全うするからこそ、
あなたの存在も尊いものなのです。
あなたが旅立つとき伝えたいことは…なんですか?
その日のために、
いまを生きる積み重ね…よろしくお願いを申し上げます。
私と父親に残された時間、
その灯された蝋燭、
人生の風に揺れる灯りも小さくなってきたものです。
でも、
しっかりと先を照らしてくれる“でっかい灯り”なのです…和尚のひとりごとでした。
コメント
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かしこさん
ご参拝ありがとうございます。
参拝され
心に落ち着き感を得られてよかったですね。
そんな場所になれて
私も嬉しく思います。世の中、
寺院はたくさんありますが、
訪ねたときに…なにを思い…感じ、
その限られた空間に存在の広さを感じることができるか…それがお寺参りの極意ということでしょうか。
もちろん、
そのときの心模様や置かれた普段の環境、
そして、
そのときの年齢もあるでしょう。これからも、
心を澄ませた私で足をはこばれると、
もっともっと素晴らしい発見が…
何処かのお寺さまであるかもしれませんよ。遊び心で楽しく入る…
それがお寺参りであり、
本来の姿だと私は信じて、
これからも気兼ねなく訪ねられる場所として、
西光寺の扉を開けておきます。ご縁がございましたなら、
また
お参り下さいませ。
よいご縁をありがとうございます。和尚
何年ぶりでしょうか
御堂を拝観し、心が落ち着く感覚をおぼえました。
まだ20代の頃、倍の年数が経ち、自身にもお寺にも心持ちが違いここまで変わるものなのかと改めて有り難みを感じました。
私事、この半年足らずに両父を亡くし心の整理が追い付かず自分なりに自問自答を重ねて参りましたがやっと落ち着いた気がしました。
最後に残せるもの、伝えたいものが私の生き方そのものだとしたら、子供たちと供にご先祖様の存在を大切にする行動を通して
何かを感じ取ってくれたら幸いです。
ありがとうございます。