和尚のひとりごと “公園を歩いた私”
今日も少し冷えこんだ朝となりました。
緩んだ感じはしますが、氷が残る境内です。
そんな冷えこんだ空気のなか、
今日もお経を勤めさせていただきました。
みなさんコートを羽織ってお集まり。
この時期、
外より中の方が寒いお寺、
それも修行道場だから仕方ありません。
昔なら暖をとるすべも道具も、
あふれていたわけではありませんから、
その厳しい自然環境のなか、
人々は生きぬいてきたからこそ私たちがあることを
忘れてはいけませんね。
そんな日中の時間、
お目にかかったお父さん、
昔のお話しを聞かせて下さいました。
『私たちは兄弟が多くて家も貧乏、だから私は中学校を出てそのまま就職しました』
と。
『下の妹が高校へ行きたいと伝えてきたときも、それはやめてくれ』
と、
すまない気持ちで
中学校卒業と同時に就職してもらったと。
そんなお話しを伺いながら、
人には人生があって
いろいろな物語を刻みながらいまがある、
そして、
そんな苦労や我慢してきたことを
まわりには見せない。
たいしたものだと思いました。
いまの時代、
中学校まで進学するのはあたりまえ、
高校だって普通に通うのがあたりまえの環境です。
だからといって目標や夢も描かず、
ただなんとなく進みゆく生き方は、
どうだろう…と思いました。
ちょうど、私の娘も高校生。
中学校の時、
高校を卒業したあとに
大学という選択肢はなかったのですが、
最近、
大学に行きたいと思うようになりました。
言われたわけではなく、
自分自身が決めた、
本心からなら応援すると。
でも先ほどのお話、
大学の先にある目標や希望を叶える近道として
大学をえらぶなら頑張れということです。
ここなら
合格できそうだからここでいいやという、
安易な選び方で人生の数年を過ごすなということです。
少し話をもどしましょう。
今日のお勤めを終えたあと、
みなさんにお話ししたのは、
どんな年齢であっても
今年もいろんな変化が訪れる、
そのときに諦めず、
どうしたらいいかと自分が考え
それを乗り越えていく方法を見いだしたとき、
それが仏の知惠だと。
そして、
いろんなお役を受けることもあるでしょう、
いくつもいくつも。
でも、
大変と思ったら大変になり、
反対に
その立場であっても
楽しくこなせる気持ちで役割を果たせるのなら、
同じ一年の生き方が変わってくると。
今年も一ヶ月が過ぎようとしています、
残り十一ヶ月、
あなたはどんな知惠で乗り越え楽しく、
まずは
この一年を生きていくことでしょうか。
物や形あるものだけではありません、
形なくとも
本当に満たされたいなにかを求めて、
知惠を得る…
生きる旅をつづけてほしいなと思う私です。
いつものcaféにおります。
友人に誘われたまちづくりの勉強会、
その時間を終えたあと少し公園を歩いた私です。
夜はまた、保護司の役目。
私が担当になるであろう保護観察対象者との面会、
本人の様子とその住居地、
自宅確認の調査にでかける予定です…和尚のひとりごとでした。
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