和尚のひとりごと “奇跡のうえを生きましょう”
一月も最後の週末となりました。
先日の記録的な寒波の影響が残り、
本日も白い息の境内には、
冷たい風が自由に
行きかっております。
お天気は、
このあとも良さそうな青空、
ゆったりと
雲が流れていきます。
あの高さから見おろされたなら、
私たち人間の…
なんてちっぽけなことか。
そんなことを考えながら
本堂に座る私です。
日曜日ということもあり、
午前中から
ちらほら
ご朱印の方もお見えになったりと、
静かさのなかにもときどき、
足音が響きわたる西光寺です。
木々の枝の揺れが激しくなったと思えば、
座っている
私の足下を通り過ぎて
冷気が道をつくっていく。
その感覚に
一月の終わりを感じる一日です。
さて、
今日は、
朝からご葬儀の連絡を受けて
でかけてまいりました。
まだ、
私とおなじ六十代前半、
昨日の夜までは、
カラダ的にも
まったく異常もなく、
普通に暮らしておられた方が、
その日に
永遠の旅立ちを迎える。
この仕事に従事しておりますと、
このような
突然の出来事を
目の当たりにすることがときにあります。
やっぱり、
生きているというこの瞬間は、
奇跡の連続なんだと
深く思う出来事でもあります。
一分一秒の先に命が終わってしまう。
病気で寝込んでいたわけでもなく、
カラダのどこかから、
“おかしいよ”と知らせがあることもなく。
人によっては、
訪れがあまりにも急に、
自身も…
予定も予想もしていなかったのに
お迎えのそのときが来てしまうこともある。
わずかな時間の狭間のうえを、
生と死をくりかえしながら
生きているのが私たちなのですね。
もちろん、
私のように
僧侶であろうがなかろうが、
足下の生命の道は、
儚く崩れてしまう時だって
あるのですからね。
まあ、
それを知ってこそ、
いまを生きて
いまを楽しむことを覚えられるのです。
いつもいつも
留守ばかりの私で…ごめんなさい。
日々、
楽しいことを見つけては、
その度にやり終えておきたくて、
出かけております。
こんな生き方さえも【生きるとは】を…
だれかに伝えられる
お役にたてるのではと思いながらなんです。
言葉で諭すことが難しいなら、
実際に実践する姿を…
つづけることも大事かなと。
そこには、
ちゃんと意味があるものなのですよ。
タイマーで消えていく
境内のイルミネーションのように、
私の思うままに
自由に命の残りの時間を
決めることができないのが、
また…私たちでもあるのですから。
さあ、
毎年忙しそうに日を数えながら
あっという間に過ぎていく、
足早の二月がやって来ますよ。
死を迎えず
生きることができた一月に感謝しながら、
二月も…
あなたも奇跡のうえを生きましょう。
いよいよ立春です。
どうせ生きられるなら
今年の春というものを
見てやろうじゃない…和尚のひとりごとでした。
節分に和尚の話しを聞き西光寺に行きたくなりました。大阪の爺です。それと秘宝の公開宜しくお願い