和尚のひとりごと “夢と幻…幻影…消え去ることはないでしょう”
日曜日のひとときを迎えております。
本日も午前中より、
縁結びのお参りに訪れて下さる
みなさまの姿に
栄えております西光寺であります。
地方のお寺で、
派手さはありませんが、
誰もが訪れてもよい真心だけは、
私の精神として
お迎えさせていただいております。
心から、
お礼と感謝を申しあげます。
有名な観光寺院でも、
たくさんのひとが列をなして訪れる知名度も、
それより、
ほんとうに
心から行きたいと思っていただけるお寺をと、
そのご縁のため四十年近く、
試行錯誤、
ひらめきと思いつきで
浮かんできましたことを形にしてきました。
こんなことを考えている和尚は、
たぶん、
この磐田市内でひとりだけでしょう。
でも、
長くとり組んできましたここでの楽しいことは、
しっかりと根をおろし、
普通ではない、
イメージから外れた寺院がここに生まれてきたわけです。
おかげさまで、
ある意味とても目立つようになりましたので、
その成果は、
見えているのではと思います。
これからも…
“行ってみたいお寺ならここ”
と見つけてもらえる聖域にしたいと思いますね。
さて、
話しは変わりますが、
いまや
終の住処はいろいろな選択肢があって、
それぞれがよくて
それぞれがいい…時代となりました。
たとえば、
私が若かりし頃、
海への散骨という言葉がひろがりはじめました。
それから数十年、
散骨もまだまだ選択肢のひとつとして
残されておりますし、
ご仏壇のなかにご遺骨を納めて、
いつも
ご遺骨とお墓がお家のなかに存在する形、
そんな
現代仏壇もいまでは登場してまいりました。
もちろん、
最後のお祀りする選択肢は、
残されたみなさまの考えが大きいと思いますが、
何よりも大切なことは、
ご本人が生前の間にしっかり、
望む形を支度しておくことです。
それがまた、
ご遺言のようなはたらきかけをして、
自分自身が望んだ
終の形で葬られていくものと思います。
これからは、
葬送のあとの支度について、
もう、
はじめてもいい
年齢に達しているのでしたなら、
ちょっと
調べてみることをお勧めいたします。
だからといって、
お寺をえらんで
お檀家になることなんて私は勧めません。
もう、
その時代は終わっておりますから。
信仰心とは、
形あって芽生えるものではなくて、
心が導くもの。
選択肢のひとつ、
お檀家のことを考える前に、
自分自身は、
どのような見送りをしてもらいたいのか、
そこに
望んでおられる答がありますから、
その答がまた、
お寺につながるのか、
神道につながるのか、
教会につながるのか、
すべて真っ白につながるのか。
お元気なうちに
終わりの姿を思い描きながら、
私がお寺を楽しく、
思い描いて形にしたように、
みなさまもぜひ、
永遠の旅路を迎えたあとの姿を想像しながら、
望むべきひとつの答を…
見つけてほしいと思います。
これからの時代を読み、
また、
これからあるべき寺院の支度をかねて、
いま、
西光寺では、
樹木葬の墓園計画を検討し始めました。
110メートルハードル競技にたとえるなら、
まだまだ
スタートラインから飛びだしたところ。
これから目の前にあります、
現実という
ハードルをひとつひとつ飛び越えながら、
まだ見ぬゴールの先、
西光寺の未来に見えてまいります終の住処、
樹木葬という
選択肢の実現に向けて動きだしたいと、
私自身はきめており、
すでに頭の中には、
イメージがハッキリとしてきた…
完成した墓園が浮かんでおります。
思い浮かんだことを形にする楽しさを、
またひとつ
ここに見つけた私なのです。
思い浮かんだすべてが、
将来の寺院のあるべき姿に通じるなら、
思い浮かんだ形は、
けっして夢と幻、
幻影、
消え去ることはないでしょう…
そう信じている…和尚のひとりごとでした。
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