和尚のひとりごと “ちっぽけなわたしでも…こころはひろいわたしと言えるように”
街のなかを
自転車で走っておりますと、
あちらこちらで春の花々が。
まるで、
電車に乗っているときの車窓の風景のように、
心地よく
暖かい景色が流れていきます。
緊急事態宣言の解除で春気分、
咲きはじめた春の花々で春気分、
2020東京オリンピック
聖火リレースタートの今日で春気分。
外にも内にも、
春爛漫の気分で過ごせる季節となりました。
それはまた、
自由がもどってきたという感覚を誘い、
目的地へと向かう
人の流れも増えてまいりました。
自分のカラダに、
あのひとのカラダに気を遣うのであれば、
おさえつけていた
気持ちを解放することも、
とてもいいことだと思います。
ジッと我慢をつづけてきたのですから、
そんなわたしへのご褒美があって
いいと思うわたしです。
だって、
こころの底から嬉しくて開く笑顔の花を、
忘れたくはありませんからね。
もちろん、
失いたくはありませんもの。
笑顔に還る時間は、
今日を乗り越えていけるこころの薬、
そして、
明日のわたしを描く色鉛筆になります。
カラフルに、
繊細に、
濃淡を表現しながら
一番見たい景色を描いていく自由は、
こころも駆けていく翼を得て、
わたしを大空へと
はこんでくれる風になります。
高く高くのぼって、
わたしの存在の小ささを知りましょう。
上から覗けば、
狭い世界で生きているちっぽけなわたし。
そんなわたしだから、
わたしを飾る色彩は思うがままに。
百年に一度の出来事は、
立ち向かうわたしより、
そんなこころで遊ぶ、
わたしの大切さを教えてくれる
きっかけでもあるかもしれません。
北の北、
もっと北の山に眠る名残雪。
その見えないところでは、
一滴一滴、
とけはじめた水玉が地下深くへと進んでいきます。
ふたたび
大地の上にもどって来るそのときまで、
ゆっくりゆっくり
自らを育みながら、
人の目に触れる日を心待ちにしております。
だからでしょうか、
山からずっと遠く離れた街、
澄んだ湧き水がふきあがる
その様子が喜びに満ちているように見えるのは。
きっと、
人の目にふれて嬉しくてしかたがないのでしょう。
それを知っているから、
水草も流れに揺れて踊っているのです。
『あの山からここまでお疲れさま』
とね。
こころ遊びができるようになったなら、
さあ、
でかけてみましょう。
山河草木、
たくさんの声を訪ねに。
ちっぽけなわたしでも、
こころはひろいわたしと言えるようにね…和尚のひとりごとでした。
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