和尚のひとりごと ”風になれた横浜の街”
曇り空の下、
肌寒い午前8時30分、スタートの合図とともに船の汽笛が鳴り響き、
スタートラインに立った2万2462人のランナーが、
一斉に港街横浜の街を駈けぬける風となって走り出しました。
42.195キロ、
フルマラソンとしては記念すべき第一回大会がその歴史の第一歩をふみだしました。
一年間の準備を続けたとはいえ、
本格的なトレーニングというより
ただ毎日走ってきたランニング素人の私もその風になりたくて、
2月22日の東京マラソンに続き出場してまいりました。
東京マラソン出場からわずかに半月…
自分への無謀な挑戦でありましたが、
なんとか疲労と両足の痛みに耐えぬき、
一度も立ち止まらずゴールでありますパシフィコ横浜までもどり、
無事にゴールすることができました。
今回も30キロを越えたあたりから両足の疲労と痛みが始まり、
速度を下げても痛みは変わらず、
最後の数キロはジョギングのように足を労りながら、
抜かされることも気にせず完走を目指しました。
沿道のみなさまからいただく温かい声援を力にして、
ゴールラインを踏みしめました。
今回、フルマラソンとしては、はじめて開催されます横浜マラソン、
その大きな話題は首都高速道路湾岸線を封鎖して、
首都高速道路上を11キロにわたって走るコースです。
普段見慣れた首都高速道路の入り口ゲートを通り、
20数メートルの高低差の登りをクリアーすると目の前には、
遙か遠くまで続く首都高速道路と人々の姿が続いておりました。
ここからは、孤独との戦い、
沿道の声援も途切れ、
目の前に続くアスファルトの道をただひたすらに、
首都高速道路出口を目指して走り続ける時間でした。
車で走っているときは感じないアップダウンとカーブの傾斜、
たくさんのランナーがはじめて経験されるコース、足におそいかかる負担です。
単調なコースがまたその距離11キロをとても長く感じさせる苦しさでした。
高台の景色を楽しむ余裕が薄れてくるというより、
走ることだけで精いっぱいの時間でした。
でも、
日本国中で開催されますマラソン大会において
高速道路を走れるという経験は、
なかなかできないもの。
その距離11キロは国内最長です。
マラソンという名のつく大会に初参加した東京マラソンから半月後、
横浜の街は、
最後まで走り抜ける風の力を与えて下さいました。
走り終えたあとは、もちろん生ビール。
訪れたお店に座る方々のほとんどは、横浜マラソンを完走されたみなさまでした。
お隣の男性にお声をかけさせていただいて、
横浜マラソン42.195キロを語り合いました。
そのあとは、心地よい生ビールのほろ酔い気分で港町横浜、
夜の灯火が疲れた身体を癒やしてくれました。
2015横浜マラソン、
本当のゴールは、ネオン誘うこの夜の街かもしれません。
訪れる街は変わろうとも、
マラソン大会は走り終えたあとの生ビールと夜の街が楽しみ。
やめられませんね、この満足感と喜びを一度経験してしまうと。
2015、2016年、つぎの大会を目標にして、
また新たな気持ちで一年、足を鍛えなおし目指します。
尚、2015横浜マラソンのタイムは、
正式記録が手元にありませんので確定の数字はわかりませんが、
初参加しました東京マラソンの記録、
4時間30分台を少しだけ短縮、更新できたと思います…和尚のひとりごとでした。
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