和尚のひとりごと “私は煩悩多し人と書いていたら…数ヶ月ぶり…今週金曜日…KBS京都《笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ》に声の生出演依頼がとどきました”
夏の空を見ているように、
入道雲がひろがる磐田市です。
秋の高い空と雲は、
何処へ行ってしまったのでしょうか。
秋の風に吹かれて揺れる薄の葉、
虫たちの合唱が聞こえてくる夜。
いまのところ、
そこに秋を感じる今日この頃です。
さて、
今週の土曜日は、
地元にあります見付天神社の祭礼、
『裸祭』が執り行われます。
一連の神事はすでにはじまっており、
今年も神職と氏子のみなさまが、
力を注いでおられることでしょう。
今日の水曜日は、
午前中から
旧東海道見付宿を中心とした各町内でバスを手配、
週末の神事に参加されるみなさまを乗せて
太平洋にでかけておられます。
昔昔は川を使って船で海に向かった歴史があります。
ちょうどこの時間は、
海で身体を清める神事が執り行われ、
浜辺で宴席がくり広げられている頃でしょう。
威勢のいい祭りのかけ声が松林に響いて、
心地よく
酔いがまわった男たちが練りを披露していると思います。
今夜は、
海からもどってきたあと、
無事に禊ぎを済ませることができた
そのお礼参りで見付天神社へと向かいます。
この海での禊ぎを終えた氏子のみなさまは、
週末の神事すべてが終わるまで
不浄なことを避けて過ごされます。
というより、
それが本来の禊ぎであると私は思います。
不浄なものから避ける…
これは個人個人の判断と、
不浄と感じたものから避けるということなのですが、
多分、
きっと、
私的には、
男女の交わりに関わるすべてからも離れて
過ごさなければいけないと考えます。
この行為は不浄で、
これは違う。
受けとめ方はそれぞれではありますが、
古式にのっとっての神事であるのなら、
神さまに仕える氏子として
心身潔斎は、
守らなければならない大切なものだろうと私は思います。
私は宗教上から参加はいたしませんが、
それより、
禊ぎを終えて不浄から離れることより、
男女の不浄のなかにあって生きる喜びを見つけたい。
泥のなかから
美しい花を咲かせる蓮の花弁とともに過ごして、
私という”人”を楽しむ方が好きなのです。
煩悩が多すぎる私、人として正直な和尚であります。
おやおや、
ちょうど人としてこのひとりごとを書いておりましたなら、
時々声をかけていただいておりますラジオ番組、
京都にございます…
KBS京都
『笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ』
さまより、
今週の金曜日、
電話で番組生出演依頼の連絡がとどきました。
何回か声で出させていただいております
同じコーナーの時間でしたなら…
午前9時20分くらいに
私の声が京都府と滋賀県、
関西地区ににひろがります。
“人”を楽しんでおりますと、
こんなご縁も結ばれるものなのですよ…和尚のひとりごとでした。
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