和尚のひとりごと “わたしもほとけ あなたもほとけ”
こうしていつもの場所、
いつもの椅子に座って周りを見まわすと
いろいろな人たちがおられて、
いろいろな過ごし方をされています。
きっと、
その背中には、
人には言えないことだってあるでしょう、
耐えてのぼりようやくいまがある人もおられるでしょう。
静かにパソコンに向きあう人、
夏休みの宿題や課題をこなしている人、
笑顔で歓談されている人、
ここに座っているだけでたくさんの人生、
そのステージが目に見えてくるようです。
そんな空気につつまれたくて、
時々足をはこぶ私なのかもしれません。
ここのところいろいろあって学んだこと…
それは、
本当にこの手を求めている人たちのために汗を流そうと。
それが知らないところ、
知らない人の為にが本当の奉仕だと心に刻んで、
そんな時間を作っていきたいと思います。
地元仏教会はダメというより悲しさです。
年功序列、数の力、影で動く…
そんな私が経験したことの無い世界を経験しました。
宗教家とはいったいなんなのか。
上から目線、
集団による虐めに近い行動。
ある時は怒りの言葉を一方的に投げかけられたり。
諭すとはなにか?
人を説くとはなにか?
人を説くとは、
まず相手の話を聞くことからはじまるのではないのか。
聞くこともせず、
ただ感情と我が考えだけで押さえつけるやり方は、
私にはできません。
というより、
そのようなことができる『人』ではありませんから。
一切、
心に響く言葉はありませんでした。
私はけっして偉い高僧、
地位や肩書きの高い僧侶ではありませんが、
相手が年上であっても年下であっても
相手を『ひとりの人間』として接し、
相手の抱えている
悲しみを共有できる心は持ちあわせております。
これからは、
一部の和尚さまたちからいただいた対応ではありましたが、
その僧侶のイヤな一面の姿に
大いに学ばせていただいた【僧侶もただの人】、
人に対してそんな諭し方をしない僧侶を私の生き方にして、
地元仏教会以外の人たち、
団体のために私の持っている時間、知恵、今回の経験を生かし、
そして
平等の精神で生きていこうと思います。
時宗の開祖一遍上人の言葉…
《わたしもほとけ あなたもほとけ》
…和尚のあなただけ…ここだけの内緒話…和尚のひとりごとでした。
コメント
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あんずさん、
コメントありがとうございます。
そのときは気づかなくても
年齢を重ねると
ふとその通りだと思い出す昔の言葉や場面があると思います。それを大切に生きるのも、
忘れて生きるのも、
人それぞれですが…
心の躾の言葉はしっかり身についているものなのですね。まさしく、
ほとけさまの存在として私と共にある人生ですね。そんな長い人生の経験をお教えいただいて
ありがとございます。和尚
ほとけ
とは心の内だと思っております。亡き、わたくしにとって
苦手なお婆さまがおりました。畳の縁を踏んではいけません。新聞をまたいではいけません。女の子はお上品にと・・そして、心の徳を積みなさい。大人になり言っている意味の深さが年を取るにつれ大切さを感じております。
戦争を体験した母からは女の子は愛嬌よ。
いつも笑顔でね。苦悩があっても笑顔で乗り切れると。笑う門には福来ると・・
社会人になってからは、色んな人たちが私に対して、助言一言を・・友も私に一言を・・男性からの一言も
(^-^)
・・その言葉を心に刻み
今・・今に至ります。
心の財産 心の品格
心の素直さ
それが
ほとけに通じる
私のほとけであります。
私には 心強い 味方の
ほとけが宿っている
そう感じております。
ほとけ
感謝をしている毎日です。
ご住職さまの
お言葉は、とても心に響いております。心が穏やかになります。幸せのお言葉
ありがとうございます