和尚のひとりごと “南磐田保護司会広報誌…編集後記より”
編集後記より
毎日、
あたりまえの景色が好きで、
今日までつくりあげてきたその歴史に惹かれ、
この街を訪れる人たちに、
その良さを語れる人になろうと過ごしてきたからだろうか、
地元生まれで地元育ちと言われることが多い。
どんな街でも、
あたりまえのままであるならそれまでだが、
やっぱりその良さを語れる人でありたい。
知らなければ語ることなどできない。
語ることができなければ、
きっと…その街を愛することはできないだろう。
とくに、
この街を“故郷”と言える子どもたちには、
せめて
過ごした街を語れる大人になってほしいと願う私です。
湖国より磐田へ早…三十年以上。
歩んできた人生もまもなく還暦を迎え、
六十年という数字の響きとともに、
まだまだ
この街と過ごすことになるだろうか。
明日の命の保証など誰も無い人生。
そう思うと、
いまこうしてまた新しい朝を迎えることができること自体、
なんて幸せなのか。
あとは、
その時間をどう生きるかという自問自答をくり返しながら、
また明日を望み今日を生きる。
そして、
どうせならそんな時間を社会、人のためにと思い、
私は長く保護司を勤めている。
もちろんこれは、
自分で承諾して受けたことではあるが、
故郷の父も保護司だった。
誰かのために時間を費やす
その背中を見て育った私だから、
いつの間にか同じ生き方をしている。
男というものは、
そんな風にくり返しながら、
憧れた背中に学び、
またその背中と同じ道を歩むものなのだなと、
杯をもちながら、
ふとわが人生を振りかえることが多くなった私。
そういえば子ども時代、
父親みたいな
大酒飲みにはならないと思っていた私も、
気がついたら
ひとり馴染みのカウンターで、
父親と
同じような背中を見せながらお酒を飲んでいる。
わが息子は、
またこの父の生き方、
背中をどう見ているだろうか…。
さて、
重い病に伏せている故郷の父親。
もう残されたこの世の時間が僅かでも、
その生きようとしてがんばる姿に、
まだまだ越えられない男の姿を学び…
「やっぱり親父はすごいよ」と見ている私です。H.S
南磐田保護司会 広報委員会 委員
次回発行広報誌
編集後記担当…私の原稿より…和尚のひとりごとでした。
コメント
和尚のひとりごと “南磐田保護司会広報誌…編集後記より”のご感想やコメントをお寄せください。