和尚のひとりごと “もちろん…あなたもですよ”
二十三年前の一月十七日、
午前五時四十六分、
阪神・淡路大震災が発生、
六千四百三十四名の尊い命が犠牲となりました。
日数にしますと八千四百一日が過ぎてしまいました。
私の実家は関西の滋賀県、
もちろん当時も両親が住んでおりました。
あの日のことは鮮明に覚えております。
すでに私は静岡県に住まいをかまえておりましたので、
直接の揺れを感じることはありませんでした。
というのも、
ちょうどそのときは、
夜立ちから
早朝にかけて岐阜県のスキー場へと車で向かってる最中、
ラジオのニュースで地震のことを知りました。
でも、
そんなに激しい揺れが関西を襲っているとは思わなく、
実家の両親へ電話、
そのときの母親の感想…言葉がいまも私の心に刻まれております。
『死ぬかと思った』
それから数時間後、
スキー場の休憩室に置かれたテレビの報道で、
自動車専用道路が横倒し、
ビルが傾き、
黒煙につつまれている街、
これはただごとではないことを知り、
待合室にいた多くの人たちがテレビ画面にくぎ付けだったことを、
昨日のことのように思いだされます。
その日から復興の明日がはじまり、
五十年かかるだろうといわれていたその街並みが、
人々の思いとがんばりで見事な復興を遂げ、
東日本大震災で被災された方々へ希望を与えるまでに美しく生まれかわりました。
私自身、
静岡県とのご縁が無ければ、
どこかで震災に見舞われていたかもしれません。
幸いにして両親にケガも無くカラダの方は無事でしたが、
記憶の遠くへと消し去ることができない…私のその日の出来事です。
いまは、
東海地震の危険が叫ばれている
ど真ん中に住んでいるようなものですが、
これだけは地球のみ知る自然の営み、
日頃の準備と心がけが大切ですが、
そのときどこにいて、
何をしている、
そして…
それは何時におこるのか、
そんなすべてが偶然と瞬間の狭間で命を左右するのではと思います。
そこで私のお寺の教え、
時宗(じしゅう)とは、
そのときそのとき
その瞬間瞬間を満たされ生きなさい、
日々それを一分一秒積みかさねていくことが生きるということ、
一度きりの人生、
どこで命を終えようとも、
その命終える瞬間まで満たされ生きてみたいものです。
まだまだ実践と修行ですね、もちろん…あなたもですよ。
午後十時半、
今夜も座り慣れた椅子に座っている私です。
いまこの瞬間、
心はcoffeeの香りで満たされています。
天気予報によりますと、
明日は三月の陽気となります…和尚のひとりごとでした。
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