西光寺
時宗 東福山 西光寺
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Saikouji Blog

和尚のひとりごと “わかりにくいひとりごと”

今週末、

早いもので十一月も終わりを迎えます。

この一ヶ月、

なにをしたでもなく無駄に過ごしていなかったかと、

毎月、毎月、

相変わらずの月末に訪れる反省の心です。

季節に遊び、本心に遊び、そして私に遊び。

いつもそれが私らしいと思いながら生きております。

これも生死の境の仕事、

お勤めをしている立場、

残されたいろいろな人生の歩み方や

その人だけの歴史を見てきた

三十年以上の日々がきっとそうさせるのだと思います。

私に与えられた一度きりの人生、

そう考えると無駄に生きるのも人生、

じっとしているのも人生、

ただ時計の秒針だけが進みゆき時を刻んでいく。

ほんと、

人に人生ありです。

どのように生きようと、

できることなら後悔はしたくないし、

歩いてきた道に誇りを持ちたい。

裕福とか仕事に大成したとか、

それより私自身がどう生きてきて心が満たされたか、

それが一番大事ではないかと考えます。

もちろん、

満たされ方は人それぞれ、

決めつけることはできません。

どうか、

あなた自身の心に尋ねて

その答えを知ってほしいと願います。

なぜ私は生きるのか、

誰のために生きるのか、

そんな生き方で…本当にそれでいいのか、

ときには自問自答もあってよしだと思います。

仏教的に大きく括るならそれは“知惠”。

知惠があって明日を迎え、今日を乗り越えられる。

その両足を知惠の支えとして

『ただ今』

の積み重ねを続けられたなら、

その知惠は知識へと変わり、

だれかのための支えになります。

IMG_7066

役に立てるそんな私を生きてみたいと望んでいる…師走の入り口、

coffeeを片手に晩秋の空を眺めている私です。

風が揺れ、

車が行き交うガラスの向こう側。

ガラスのこちら側では、

まわりから聞こえてくる

いろいろな世代の生きている人たちの声、

そうさ、

みんな生きている、

今日の歩みも明日になれば通ってきた道となり、

過去になるんだ。

そんな過去の私に乾杯しよう、

だってさ、昨日の私も好きだからさ、

嫌いじゃないときぐらい

そんなことを思う私でいたいのさ。

わかりにくいひとりごと、

それを記しているときの私も…

やっぱり好きなんだな…和尚のひとりごとでした。

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