和尚のひとりごと “南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏”
平成二十九年十一月五日より三日間、
沖縄県に来ております。
富士山静岡空港から2時間半ほど。
三度目の沖縄となります。
今回の目的は前回と同じ。
十一月六日に行われます
静岡県仏教会主催
沖縄戦による
静岡県出身戦没者追悼法要に参列するためです。
場所は沖縄戦終焉の地、
糸満市摩文仁の丘陵が広がる沖縄県平和記念公園。
前回の時は、
同じ宗派の和尚さまたちと参列しましたが、
今回は私一人。
出発から帰りまで、ひとり旅で訪れております。
法要は荘厳かつ厳粛のなか進み、
各都道府県ごとに建立されております供養塔、
そのひとつである『静岡の塔』の前で勤められました。
ご来賓、ご遺族のみなさまも静岡県より参加され、
心をこめてお焼香、
ご冥福を祈っておられました。
温暖な静岡も晩秋の冷えこみとなってまいりましたが、
ここ平和記念公園の空は真っ青、
優しい白い雲が流れておりました。
そして、
訪れたみなさまを迎えるかのように蝉たちが鳴き、
蝶々舞う緑豊かな芝生の景色です。
法要を無事に終え風は清か、
たくさんの御霊よ安らかにと静岡の塔をあとにしました。
そのあとは、やはりひとり。
前回の時は、
法要と周辺の主な施設を見学してあとにしましたが、
今回は少し足をのばして、
断崖を下る遊歩道を歩いてきました。
この道沿いには第二次世界大戦、
沖縄戦終焉の地となった最大の激戦地、
沖縄防衛の第三十二軍司令部洞窟跡、
十四~十七歳沖縄師範学校生が最後を過ごした壕跡、
水を汲みに来た
軍人・住人がアメリカ軍の艦砲射撃の標的にされた湧き水の跡など、
当時は射撃によって草木も消滅、
海から狙い撃ちされて、
命を落とされたところなどがそのまま残されております。
いまも当時の悲惨さを
ここまで訪れた人たちへ声なく語りかけて来るようです。
途中の岩肌には火炎放射器の跡も残り、
七十数年の時が過ぎようと、
今を生きる私たちに「忘れないでくれ」という空気感が漂っておりました。
遊歩道を歩きながら…
『みなさまの尊い
命の犠牲のおかげでいまの日本の平和があります、
ありがとうございました、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏』
口にしていた私です。
次の慰霊祭は二年後、
また参ります、安らかにお眠り下さい…和尚のひとりごとでした。
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